GOIKKI
展覧会情報
翰墨精舎主人・各教室用水墨・墨彩画課稿公開
「山 水 系 譜」
呉 一騏・現代山水藝術表現展
2015.4-25(土)~5-17(日)
午前10時~午後5時 休館日 月曜日(月曜日が祝日の場合は火曜)
モンミュゼ沼津
沼津市庄司美術館
静岡県沼津市本字下 1-900-1
TEL 055-952-8711 FAX 055-964-1538
「山水画」は中国の宋元時代を経て、多くの傑作が現代までも遜色のない現代性を持ち、優れた東洋独特な「山水画」表現であり続けている。
その「山水精神」が求められている現代こそ新たな山水画表現を展開しなければならない。技法や素材、心象・具象・抽象など、作家自身に合った相応しいものが、水墨表現なら、まず「水」と「墨」が基本素材とし、表現技法は作家自身にある限りない精神性や学養、独自の見識、また日々に研鑽する技量から生まれるものと私は思う。
●純水墨・宣紙・パネル式 230cm×60cm
作品「天光演繹」心象山水表現シリーズNo.0822
今回、展覧会が構成する作品は、長年に中国、日本の各美術館と画廊の展覧会出品作。
現代山水芸術表現作品の大規模な展覧会です。
「山水画と風景」自作によせて…呉一騏
「山水画は風景画ではない」という理念から新たに天地創成の心象山水表現作品であります。一貫として「山水精神」を求める。或いは「山水」と言う姿を借り、自己精神を高揚させる手段を率直な考えだと思います。
「山水画」は東洋では千年前から成立した独特な「山水観念」で展開されている。それと現代人の美意識の中の“風景”“風景画”とは一線を画すべきと考えている。
特に、中国と日本では“山水”に対して宗教的な執着・崇拜と畏敬がある。古くから天地宇宙の奥義と神霊万物は、皆その“自然山水”の中に隠されていると心に信じ、特に古代中国では、それが一つの山水観念まで形成されてきた。
「山水画」の発生と展開は伝統中国文化・哲学との深く関わりが無ければ成立できない。最初から儒家文化と道家思想の“中和”で形成されるよう、一つの独特な「山水精神」までに大成された芸術である。儒家文化の社会倫理、道徳責任が天地精神を隠喩する「仁智之楽」が山水画の形・質に強調される。また道家精神の自我解脱・虚静無為を求める「暢神」「観道」の方式で「山水画」の品格を営造、人格の昇華が「天人合一」の境地に到ろうとするプロセスである。
「 暁闇の源光 」
越沼 正
(呉一騏の展覧会に寄せられた文)
2015年4月下旬、沼津市庄司美術館で呉一騏氏の近作水墨画に対面する。
観賞でもなく、鑑賞でもなく、まして対峙ではなく対面。瞬時にして他の観賞者の気配は消尽し、その暁闇~一条の光明の光景が、私の全神経を一気にその画中に集中させた。
そこには暁闇の甚深たる深みの底からふっと何かが微かに動き、そしてその僅かな切れ目から光明の顕現の兆しが感じられる。
卓抜にして優婉な墨筆から生み出された、悠遠にして尋常ならざる漆黒の深み。それは地の深淵、深奥ではなく、深遠、杳(はる)かなる天地天空、その彼方、宙の源への、思考・思索の漆黒の光を想起させる。
地(山)は地(山)ならず、空(宙)は空(宙)ならず、其処には玄黄の創元、すなわち目に見える、目に見えないという視覚を突き抜けた、視る意志、視ること=描くことへの思索を究めてゆく静かなる苦闘の過程から生れたと想像される、何も見えないが、何かを視る、何かが、漆黒の光明が、微かに生まれつつある……暁闇の時空。それは、おそらく前人未到の境地であろう。
水墨画の新たなる表現世界には、既成の言語表現は放擲されねばならない。未だ生まれざる言語表現が、ここに求められる。なんと刺戟的な作品だろう。